聖書について

 

 聖書は英語で「バイブル」と言います。定冠詞をつけて「ザ・ブック」という言い方もあります。バイブルというのは、ギリシャ語の「ビブリオン」から来ています。このビブリオンという言葉は、「本」という意味です。聖書は本の中の本、もし読むべき本を一冊だけ選びなさいと言われたら、迷わず聖書を取るという世界です。
 これまで、世の中にどれだけの書物が登場してきたのか分かりませんが、常に世界で最も多く販売されている書物は、聖書です。我が国でも、特別な宣伝がなされることはないのに、毎年200万部も売れているそうです。隠れたベストセラーなのです。

 聖書には旧約聖書と新約聖書があります。ここに使われている「約」は契約、約束という意味です。イエス・キリストがこの世に来られる前、アブラハムやモーセなどを通して神とイスラエルの民の間で結ばれた契約を旧約(古い契約)、イエス・キリストによって結ばれた契約を新約(新しい契約)と言い、その契約が記されている書物を旧約聖書、新約聖書と言っているのです。何故か、旧約聖書は旧教(カトリック)、新約聖書は新教(プロテスタント)で使うと誤解している方がありますが、そうではありません。この契約は、聖書の神を私たちの神とし、私たちが聖書の神の民(天国の民)となるという約束です。この約束に基づいて、様々な教えや命令、約束が与えられています。

 旧約聖書はユダヤの言葉ヘブライ語で書かれましたが、新約聖書は、世界共通語とも言うべきギリシャ語で記されています。イエス・キリストの弟子たちは、ギリシャ語に翻訳された旧約聖書を用いました。もし、神の言葉は一字一句間違えてはいけないので、ヘブライ語、アラム語で記さなければならないと言われていたならば、主イエスの教えを全世界の人々に伝えることは出来なかったかも知れません。しかし、主イエスの言葉は最初からギリシャ語に翻訳されて記録されました。ヨーロッパ中の人々が聖書を読むことが出来たのです。その後、伝道する時には、その民族、部族の言語を用います。ですから、私たちも日本語の聖書を持ち、日本語の讃美歌を歌い、日本語でキリストの教えを学ぶことが出来るのです。

 最初の日本語聖書は、宣教師ギュツラフが3人の漂流民(愛知県出身の船員)の協力を得て翻訳、1873年(天保8年)に出版したギュツラフ訳「ヨハネによる福音書」でした。
 3人の漂流民のことについては、故三浦綾子女史が「海嶺」という小説を発表しています。その後、松竹映画で映画化もされました。愛知県知多郡美浜町小野浦に、和訳聖書頌徳記念碑が建てられています。美浜町役場のサイトの「観光スポット」のページに、和訳頌徳記念碑の紹介があります。また、美浜町観光協会の「歴史」のページに、「和訳聖書発祥の碑」の記事と、短いYoutubeの映像が掲載されています。ぜひご覧下さい。
 その後、1880年代に明治元訳聖書が出版され、1917年に新約聖書が改訳されました(大正改訳)。そして、1942年に、旧約は明治元訳、新約は大正改訳を採用して合本した文語訳聖書が出来ました。それから、口語訳聖書(1957年)、新改訳聖書(1970年)、共同訳新約聖書(1978年)と、新しい日本語訳聖書が作られ、そして新共同訳聖書が1987年に出版されて、今日に至っています。
 因みに、共同訳とは、カトリックとプロテスタントの聖書学者たちが共同して作ったので、そのように呼ばれています。ルターによる宗教改革(1517年に始まる)以後、そのようにして作られたのは、これが我が国のみならず世界の歴史上初めてで、その意味では画期的といえる快挙ではないかと思います。

 

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