アーメン

 

 キリスト教用語で万国共通語の一つに「アーメン」という言葉があります。昔からクリスチャンはよく、「アーメン、ソーメン、冷やソーメン」などとからかわれたものです。ポピュラーな食べ物と並べられるほど、皆によく知られている言葉と言えますね。お祈りの時にアーメンとお祈りすることも、よく知られているでしょう。また、讃美歌にもアーメンが出てくることをご存じの方もおられるでしょう。そういえば、ヘンデルのメサイアの最後に「アーメン・コーラス」がありますね。でも、アーメンって、いったいどういう意味なのでしょうか。
 この言葉はヘブライ語の動詞「アーマン」(確認する、支持する、固く立つ、信ずる)からきた副詞で、「確かに、真実に」という意味があります。それで、説教や祈り、賛美に同意することを表明するために「アーメン」と唱和します。「今の言葉は真実です」、「この賛美は本当です」、「この方の祈りに同意します」、というような表現です。
 聖書はイエス・キリストを、「アーメンである方」と呼んでいます(黙示録3章14節)。これは、主イエスが神の御言葉の真実を確証して下さるお方であることを表わしている、ということが出来ます。
 この主イエスは、「はっきり言います」(口語訳「よく言っておく」)という表現を用いておられます(マタイ福音書5章18節など多数)が、原文直訳は「アーメン、あなたがたに言います」です。ヨハネ福音書ではさらに特徴的に、「アーメン、アーメン、あなたがたに言います」という表現が用いられています(1章51節など)。主イエスが語られる御言葉がいかに真実で重要なものであるか、ご自身がそれを保証されたこと、それを聞いた弟子たちに確証が与えられていることを表わしています。
 「語る」といえば、その中に「偽る」という意味も含まれるという私たちの現実があります。なぜ誓約書、保証書などが必要なのか。私たちの言葉が常に真実なことばかりではないので、これは本当なんだ、必ず実行するのだということを表明するため、そのようなものが必要になってくるわけです。真実、本当の実がなく、葉ばかり茂らせている。だから言の葉(ことのは)、言葉と言う、などと分析してみても悲しくなりますね。
 アーメンである方は、私たちのありのままを受け止めて、ご自身の真実な愛で愛して下さいます。主イエスの真実な愛の御言葉に、私たちもカッコつけずにありのままで、「アーメン」と応答して真実に歩みたいものです。

 

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